01
露に込められた、祖母の願い

私は小平の、玉川上水からほど近い古い農家で生まれ育ちました。
実家はうどを作る農家で、冬になると両親はまだ暗いうちから地下の室(むろ)に降りていきます。
ですので、物心ついた頃から私のそばにいてくれたのは、庭先で小さな直売所をひらいていた祖母でした。
祖母は口数の多い人でしたが、
水の話をするときだけは、急に声を落として、
遠くを見るような目をしていました。
「この辺りはね、昔から水が逃げる土地だったんだよ」
畑に出る前、祖母はよく私の手を引いて、
朝いちばんの草むらまで連れていきました。
井戸を掘っても水の出ない土地なのに、
夜が明ける前の葉の先には、いつも小さな粒が並んでいる。
「露真」という名前は、祖母がつけてくれたものです。
「誰も見ていないところで、黙って結ぶのが露だよ。
露は嘘をつかない。
あんたも、真(まこと)をそっと置ける人におなり」
幼い私には難しい言葉でした。
でも、なぜかその響きだけは、
ずっと胸の奥に残っていました。
02
初めて視えた日、伝えることを知った日

小学4年生の初夏のことです。
クラスに、いつもよく笑う女の子がいました。
その日の昼休み、彼女は落とし物をして、
校庭の隅でひとりで泣いていました。
先生も友達も、なくした物のことを一緒に探していました。
私も並んで探していたのですが、
しゃがんだ拍子に、胸の奥がすっと冷たくなりました。
この子が泣いているのは、落とし物のせいじゃない。
理由はわかりません。
ただ、はっきりとそう感じたのです。
「本当は、引っ越すのが嫌なんでしょう」
気づいたときには、口に出していました。
彼女は顔を上げて、私をじっと見ました。
笑っていた顔から、すうっと表情が消えていきました。
転校のことは、まだ誰にも言っていなかったのだそうです。
それから彼女は、私と目を合わせなくなりました。
夏休みが明ける前に、彼女は小平を出ていきました。
さよならも、言えないままでした。
それが、私が初めて「視えた」瞬間であり、
同時に、初めてこの感覚を怖いと思った日でもありました。
言い当てることと、その人を助けることは、別のことなのだと
あの時の私はまだ知りませんでした。
それから、不思議なことが増えていきました。
友達と話していると、
言葉にしていない本当の気持ちが
ふと伝わってくるようになったのです。
明るく振る舞っている子の奥に、
誰にも言えない孤独が沈んでいること。
平気なふりをしている子が、
本当はずっと限界を超えて我慢していること。
最初は気のせいだと思おうとしました。
でも、何度も的中するうちに、
それが確かなものだと気づき始めました。
中学、高校とすすむにつれて、
この感覚はより鋭くなっていきました。
駅の改札や神社の参道など、
人の集まる場所を歩くだけで、
たくさんの感情が波のように流れ込んでくる。
そして私は、感じても口に出さないことを覚えました。
あの校庭の日を、繰り返したくなかったからです。
学校から帰ると誰とも話す気になれず、
ただ部屋にこもる日が増えていきました。
高校2年の秋、祖母が珍しく、
深刻な顔で相談を持ちかけてきました。
「店をたたもうかと思ってるんだよ」
長年続けてきた直売所を閉じるかどうか、
祖母は何日も一人で悩んでいたようでした。
その時、私の中に祖母の本当の気持ちが流れ込んできました。
本当はまだ、あの台に野菜を並べていたい。
でも、腰が続かないからと、誰にも言えずにいたこと。
言うべきか、ずいぶん迷いました。
あの校庭の日から、私はずっと黙っていたからです。
それでも、その時は口にしました。
「おばあちゃん、まだお店を開けていたいんでしょう」
祖母は目を丸くして、しばらく黙っていました。
「…よく、わかったね」
あの校庭の日とは違って、
祖母は少しだけ、嬉しそうに笑いました。
その日から祖母は、棚の数を減らしながら店を続けることを決めました。
視えたことを口にしても、
人を傷つけるだけではない。
私が初めてそう思えたのは、この時でした。
03
都心へ出て、心の源流を想う

20歳を過ぎた頃、私は都心に出ました。
この力のことは誰にも話さず、
普通の会社員として生きていこうと決めていました。
けれど、そこは私にとって、
言葉と本音がいちばんずれる場所でした。
会議で「大丈夫です」と笑っている人から、
本当はもう限界だという感情が流れ込んでくる。
「気にしてないよ」と話す同僚の横を通ると、
私の胸の奥だけが、ひどくざわつく。
誰も嘘つきではありません。
ただ、皆それぞれに、言えない事情を抱えている。
それが全部、こちらに届いてしまう。
視えても言わない。
感じても、知らないふりをする。
小学4年生のあの日から覚えたやり方を、
朝から晩まで、毎日続けることになりました。
半年も経たないうちに、
朝、布団から出られなくなりました。
身体はどこも悪くないのに、ただ重くて動けない。
ある日、会社を休んで一日中天井を見ていると、
ふと祖母の店先に漂っていた土と葉の匂いを思い出しました。
祖母はすでに他界していましたが、
私は小平に戻ることにしました。
久しぶりに歩いた玉川上水は、
記憶の中とおなじ深い緑の底を、静かに流れていました。
そのまま熊野宮まで歩くと、
2本の欅が、夕陽の中で寄り添うように揺れていました。
祖母が昔、話してくれたことがあります。
このあたりは昔、「逃水の里」と呼ばれていたこと。
川らしい川もなく、水を求めても、
追いかけるほどに逃げていくような土地だったこと。
それでも荒野に一本だけ榎の大樹が立っていて、
街道を行く人の目印になっていたこと。
人はその木のそばに神様を祀り、
遠くから水を引いて、ここに暮らしをつくったこと。
そして、もうひとつ。
今では川の見えないこの土地にも、
はるか昔には石神井川の源流があり、
豊かに水が湧いていたこと。
その水辺には、3万8000年も前から人が訪れていたこと。
祖母は、こう言っていました。
「追いかけて逃げる水と、黙って流れてる水は、別のものだよ」
夕方の境内で、その言葉がようやく腑に落ちました。
人の気持ちも、同じなのかもしれない。
その人がいま必死で追いかけているものが、
本当にその人の中を流れているとは限らない。
逆に、本人が見えなくなっているだけで、
ずっと変わらず流れ続けているものもある。
私がやるべきなのは、当てることじゃない。
その2つを、分けることなんだ。
言うか、黙るか。
ずっとその二つしかないと思っていました。
祖母がくれた「露真」という名前の意味を、
その時、はじめて受け取れた気がしました。
小平に戻ってしばらくして、
近所に住む40代の女性から声をかけられました。
長く連れ添った夫と、このまま一緒にいるべきか、
ずっと迷っているとのことでした。
はじめ、彼女が話していたのは
夫に変わってほしい、という願いでした。
けれど聞いていくうちに、
その下を流れているものが見えてきました。
彼女が本当に取り戻したかったのは、
夫の態度ではなく、自分の時間のほうでした。
「変えたいのは、ご主人じゃないですよね」
そう伝えると、彼女はしばらく黙って、
それから静かに頷きました。
「ずっと、誰かにそう言ってほしかったのかもしれません」
数ヶ月後、彼女から連絡がありました。
夫婦のかたちは変えずに、
自分の時間の使い方だけを変えたと。
穏やかな声でした。
追いかけていたものを手放したら、
本当に欲しかったものが残った。
それが、私にとって初めての確かな手応えでした。
04
真をそっと置く、ということ

そこから少しずつ、鑑定の活動を始めました。
最初は近所の口コミだけでしたが、
今ではオンラインを通じて、全国の方々からご相談をいただいています。
仕事の岐路に立つ方、
家族との関係に悩む方、
自分の進む道がわからなくなってしまった方。
皆さん、誰かに話す前から、
本当はもう答えを持っていることが多いです。
ただ、追いかけているものに心を奪われて、
本当に自分の中を流れているものが、
見えなくなっていることがあります。
私はその2つを、ゆっくり分けていきます。
視えたことは、正直にお伝えします。
でも、決めるのは、いつもご本人です。
小学4年生の初夏、校庭の隅で
まだ、伝え方を知らなかった日のことを、
今でも覚えています。
誰も見ていない場所に、真をそっと置く。
祖母がくれたこの名前のとおりに、
今日も小平の地で、
皆さまの心に向き合っています。
もしこの文章を読んで少しでも心が動いたなら。
今、ひとりで答えを探しているのなら。
プロフィールのリンクから、ご縁をいただけたら幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
あなたの毎日が少しでも軽くなりますように。
